生の家
米沢市・遠山町の山裾に建つ、ミニマルな暮らしのための一室空間の住宅。
それぞれの生活機能を兼ね合わせてひとつながりにまとめ、ものを持たない生き方に添う。
例えば、この家には玄関がない。あるのは「玄関のようなスペース」。外部から室内へアプローチするドアを入ると、ダイレクトにキッチンへつながる。これは、単一の機能が点在する従来の住宅の様式から外れ、兼ね合わせから生じる空間の自由度を拡張する試みの一つである。
日々消費する様々な資源に意識を向ける住まい方も、この家を構築する大切な指針となった。
新築住宅において、通常は壁内に隠蔽される電気配線を、鋼管を用いて露出させ、エネルギーの流れを日常の視界に置き直した。
日本の住宅の多くが、南側に大きく開口し、明るく健やかな居室を得ようとする。しかし、温暖化が進む中で、この大きな開口部によって夏場の冷房負荷は増大している。採光と遮光のバランスを最適化し、デッキへつながる東面は掃き出し窓とし、南側にはリンゴ畑の光景を切り取る正方形の窓を計画した。
凸型の住居部分に対応した凹型のデッキが、外と内のあいだに回遊性と緩やかな余白を生む。これによって、半外空間(デッキ)が日常生活に食い込み、内外の関係性を穏やかに撹拌するのが狙いである。
1階は階段を半透明の間仕切り壁のように扱い、リビング・ダイニング・キッチン・水まわりが連鎖し、2階へと生活が立体的に展開する。この家で唯一の引き戸を入ると洗濯脱衣室が現れるが、左右に配置した浴室とトイレにはドアがない。水回りの3つの室をひとつの空間と捉え、小割りにしない自由さが備わった。
2階も1階同様に、中央に据えた階段が左右の空間を分かつ。
天井照明を設けず、ブラケットライトを天井に当てて反射させ、全体に柔らかく配光する。器具の類が一切取り付けられていない真っさらな天井が、心の静寂をもたらし、世界はいかにものに溢れているのかを再認識させる。
一室の大らかな器は、余白で満たされている。
どこでご飯を食べても、どこで寝てもよいという自由さが前提にあり、決まりのない大らかさが、生活をもっと柔らかなものにする。
持ち過ぎないこと、工夫すること、意識することが、暮らしに「生」の感覚を保ち続ける。

















